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母語を失う恐怖と私を支えた詩
 海外の現地校に入って、現地の子と対等に学力的に渡り合えるようになるまで4年かかるという。
あながち外れていないと思う。
現地の言葉で考え、問題解決する力がつくには少なくとも4年、それ以上かかるケースも珍しくない。
それはその子どものそれまでの家庭環境や、学習環境によって多少幅は出てくるけれど。

私は、2年かけて、英語で思考する能力が芽生え始め、
それと同時に、日本語で思考する能力を失い始めた。

それが、どういう意味を持つか。

自分が考えていることが、わからない。
動物的ともいえる、直感レベル、感情レベルでしか、自分の気持ちを認識できなくて、
言葉というフレームに落とし込むことができなくなる。

自分の考えていることが分からない、表現できない。
私の今感じているこの恐怖は、不安は、なんだろう。
確かにそこに、恐怖や不安があるのに、
それが何なのか知るすべも、知ろうとする手段「考える」という作業がまったくできなくなる。

何より恐ろしかったのは、母語が、私の頭の中から消え行くということ。

私は日本語が大好きだった。
文字を読み始めたのが2歳、筆を持ったのが3歳、幼稚園では絵本なんて大嫌いで、
小学校では、学年相応の本はくだらなくて仕方なかった。
小学生にして、古事記や日本書紀を読み、
イギリスに行ってからは毎月4、5冊、祖母に本を贈ってもらっていた。
そんなイギリス中学生時代には、当時脚光を浴びた「日蝕」に夢中になり、
そのほかにもとにかく日本語の活字があれば内容がなんであれ、読んだ。
日本語新聞が一日遅れで届くのだけど、それは意味がわからなくても一面の頭から38面まで読み通した。親の金で勝手に届く、日本語メディアが新聞だった。

が。
そんなこともしている暇のなくなってきた、Yr10、11。その準備段階のYr.9.
このあたりから、日本語に接する機会が激減。
現地校の課題、勉強でいっぱいいっぱいだ。
中等教育修了試験(GCSE)対策、GCSEに必要なプロジェクトワーク、エッセイ、モジュールテスト、実技試験。。

イギリスに渡った小6の頃から常に一日8時間は勉強に割いていた。
土日となれば、家族で外出する以外は、ひたすら勉強。

気づいたら、頭の中はほぼ英語。
でもネイティブといえるほどでもなく、日本語で補充しながら、英語を使う日々がしばらく続いた。

が、突然。
和英辞書も英和辞書も使えなくなった。
言葉を失ったから。
これは英語でなんていうんだろう、とおもっても「これ」が日本語で出てこないから辞書の引きようがない。逆もしかり。英語のボキャが少ないから、英語から日本語を引き出す作業もできない。

そのうち、英語でも、日本語でも文章を書くどころか、考えることができなくなった。
怖かった。
頭の中は空回りしっぱなし。焦って冷や汗どころか、体が震えてくる。

日本語ができないで、どうして日本人だと名乗れるだろう。
日本語を失ったら、私は自分をどうidentifyしていけばいいのだろう。
日本に帰ったときにどうなってしまうんだろう。
identity crisisに直面した。

それくらい、言語と自分の文化との結びつきは、少なくとも日本人である私にとっては重要なことだったのだ。(ユダヤ人は宗教を共有するけど、言語や国籍は必ずしも共有されていない)

中学生の私がそのとき自分に対して思ったことだ。

母語喪失の恐怖は忘れない。


でもあるとき、English Litelitureという科目の中の詩の授業で、
Poems from other cultures
という単元を勉強することになった。
詩を読むにとどまらず、修辞法、その詩が書かれることになった歴史的背景、詩人のバックグラウンドまで踏み込む、日本の国語の授業とは雲泥の差の深さで、一つの詩に取り組む。

たぶん英文学の先生は、意図的にその単元を選んだと思う。
何せ私が振り分けられたEng.Lit.のFoundation classの半分が、日本人やパキスタン人など、イギリス人のほうがマイノリティだったから。

その中で、私が勇気付けられた詩がある。
日本語もよくわからない。英語も中途半端。そんな私の悩みとまさに同じことに悩み、乗り越えていくという詩。
Search for my Tongue, written by Sujata Bhatt
だった

その詩を転載することはできないけれど、技法的にも表現力も言葉のパワーもすごい詩だった。

何より勇気付けられたのが。
「mother tongueが
rot and dieしていく」という恐怖から、
実は母語はきちんと体の中に残っていて、「it(母語) blossoms out of my mouth
と詩が訴えてくれたこと。

二つの言語を、体の中に同じレベルで宿らせ、操るのは難しい。
だけどそれが要求される場面は少なくない。
だけど、mother tongueの存在を、思いを、捨てないことで、
一時的にその能力が落ちることが合っても、
必ず、それは体の中に残ってる。


mother tongueの持つパワーとそれがその人自身にとってどれだけの財産なのかということを、
多くの人に知ってもらいたい。知らせたいと思う。
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 12:51
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my school life in England vol.17
最近「ブログおもしろいね」って言われるようになって嬉しいです。
M上さーん、読んでくださってるならコメント残していってくださいよー。

なんだか最近梅雨寒で調子狂うなあ。もちろん、暑いよりは全然ありがたいんだけれども。
でも、こんな日に外でプールに入ってる小学生を見ると、ちょっとかわいそう
高校は屋内プールだったから、水泳の授業をやる期間がめっちゃ長くて、5月のGW明けくらいから、10月まで。水泳得意だから成績が取れてラッキーでした

で、イギリスでは、4月から6月の「夏学期」に水泳の授業をやってました。夏とか言っても、イギリスの4月は、涼しい。だって、緯度は北海道と同じだし。しかも、私の学校のプールは、屋外。でも、温水。ってことは、何が起こるかというと。

プールがまるで温泉のように、湯気ゆらゆら。
進行方向の状況が見えませ〜ん。
背泳ぎしてたらいつの間にか壁まで来てて、頭をぐわ〜〜んとぶつけてしまったり。
っていうかそもそもお湯に顔をつけるのがキツイ。
ありえない水泳の授業でした。
しかも、学校のチームに入ってたから、何かとお湯の中で泳いでました。
あれは、高校の屋内冷水プールよりきつかった。。。

original: 2005-07-13 23:56:05
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 03:41
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my school life in England Vol.16
高校まで「卒業式」というものは経験がしたことがなかった。
なぜか。
小学校6年生の夏にイギリスに行った私が転入した先は、現地校のYear.8。中学校2年です。あれ、小学校未卒業のまま中学生になっちゃった。。
その上イギリスで中等教育課程はYear.7〜11の5年間なのですが、そのYear.11の終わりには卒業式のようなものはなく、最終学期の最終日も、登校はしてもしなくても、みたいな、流れ解散。
しまりのない終わり方だったなあ。
あんなに卒業時の試験大変だったのに。。

ただ、一つだけ、イギリスの中学校生活の終わりに、素敵なイベントがあったんだ。
先生たちが手作りのパーティーを、試験の最終日に開いてくれたの。
パーティー会場は、普段居残りくらいでしか使われない、図書室(笑)
普通、飲食厳禁なのに(笑)
学校中の先生たちがみんなで、お菓子の買出しからからピザのオーダー、会場のセッティングまでしてくれて、先生たちと私たちYear.11の全員で楽しくランチパーティーをしたんだー。

でも、どこか不完全燃焼だった私たち。。

だって。。

muck up dayを何ヶ月も前から楽しみにしてたんだもん!!!!!

muck up day。

それはどうやら私たちの学校独自の行事ではなかったみたいで、近くの学校でmuck up dayに何があったか、みたいな噂も聞こえてくる。

私たちも、試験が始まる前から「うちらは何する何する?」みたいな感じでしょっちゅう話題にして、楽しみにしてたのだ。

muck up dayっていうのは、その年の卒業生が、大暴れする日なの。

「今年のmuck up dayは何月何日!」
という噂が、どこからともなく、生徒や先生の間に広がって、全校がどきどきしながらその日を待つの。
そして当日。
いつ、何が起こるのかわからない。
そういう緊張感(と生徒に関しては高揚感。笑)の中、一日が始まる。

私の先輩たちは、すごかった。
ある代は、講堂(といっても、据付の椅子なんかはない、ただのだだっぴろいスペースね)で、生卵投げゲームをした。
そのときのホールのにおいといったら。。もう。。
ある代の先輩は駐車場にある先生の車をつぶした。修理費は生徒の親持ちね。
超お金持ちのパパママがいるような子がたくさんいる学校だからそんなことができたんだと思う。。
近くの女子高では、学校中のトイレをショッキングピンクにペイントしたという噂があった。

でも、私たちの代から、muck up dayが禁止になった。

私の一つ上の代のmuck up dayのメニューが超えげつなかったから。

そのmuck up dayは静かに始まった。
私たちの期待とは裏腹に、お昼休みになっても、学校のどこかで悲鳴や笑い声が上がることがなく、クラスの教室にいた私たち後輩は、なんとなく、じりじりしていた。
が。
「つまんないな,ちょっと学校内歩いてみようよ」
と誰かが言い出して、何人かが教室を出て行った。
学校内といっても、めちゃめちゃ小さい学校なので、すぐに校舎を一周できてしまう。
すぐに、教室を出て行ったメンバーが帰ってきた。
笑いをこらえていたらしく、教室のドアを開けた瞬間、大爆笑し始めた。
「なに!?なに!?}」
不思議がる私たちを、手振りで
「とにかくちょっと校内歩いてみなよ」
というように、教室の外を示す。
教室に残っていたメンバーで、廊下に出た。

笑った。みんなが。

私はよくわからなかった。
廊下にぽとぽと落ちているものがなんなのか。

水風船?

違った。


「何、これ?」
私がクラスメートに聞くと
「は?ヨウコ、わかんないの?」
彼女は、説明しようとしてはふき出しながら、やっと教えてくれた。
それらの正体を。

アレです。
空気をいれて、口を結わえた、いろんな色のコン●ーム。。。。。

うそーーーーーーーーん。

学校の、いたるところに、それらが置いてあるの。
廊下、理科室のシンク(にめいっぱい)、ゴミ箱、職員室横の提出物を置くための棚、ホールの床。。。
伝統的女子校の校舎内のいたるところに、そんなものが。。

下ネタ大好きなクラスの子達は大喜びでした。

ひとしきり盛りあがったあと、私は、昼休みに音楽室でピアノを弾くことを日課にしていたので、一人音楽室に向かいました。
ピアノを蓋を開けると。
青、ピンク、グリーン。。。。
鍵盤のとこにもそれらが仕込まれていました!!!!!

のんびり職員室でランチタイムのワインを飲んでいた先生たちが、昼休み終了間際にそれらに気づいた。

午後の最初の授業は自習になった。
先生たちが厳しい顔をして、ゴミ袋片手に、校舎中のそれらを拾って回ったから。
それでも、次の日に思いがけないとこから残党が顔を出して、その度に先生は顔をしかめ{/face_ang/}、私たちは笑いをこらえるはめになりました。

そして、女子校にふさわしくないこんなはしたないいたずらをするなんて許せない、と怒り心頭の先生たちは、翌年以降のmuck up dayを禁止したのでした。
車つぶされても禁止にしなかったのに。
まあ、うちの学校らしいといえばらしい決断でした。

にしても。。。

日本の学校でそんなことやったら新聞にのっちゃうだろな。
都民版とかに。

original:2006-10-13 00:37:08
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 03:25
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my school life in England Vol.14
イギリスで私が通ってた学校の制服は、なんか派手だった。
だって、Year.9までのブレザーがストライプだもん、緑と茶色と黄色の。
先生いわく、緑は木々を表し、茶色は大地を表し、黄色は太陽を表す。
表すのはいいんだけど、もう少し欲を抑えられなかったんだろうか。
そんなごちゃごちゃいろんな色を入れなくても。。
で、そういうブレザーに、緑色のカーディガン/セーター、白シャツ、緑のネクタイ、茶色のスカート、緑のハイソックス。という組み合わせ。

おかげで遠足やスポーツチームの試合なんかで街中に出かけていった日には、おそろしく目立って仕方なかった。
Royal Academy of Music のチェロのgrade examを受けに、会場となってた隣町の学校に行ったときに、学校名をスタッフに訊かれて答えたら、
「ああ、あのpeculiarな制服のとこね」
って言われてしまったくらい。

まあでもイギリスっぽいっちゃイギリスっぽい制服なのかも。
ちなみにスカートの丈は膝上6インチまで。膝が見えるなら、靴下じゃなくストッキング(茶色の)にしなきゃいけない。ただし、夏は白ソックス可。
長い分には何も言われない。だから、ムスリムの友達は、くるぶしまでの茶色いロングスカートを制服にしてた。

私がYear.9のときに、隣の男子校と私の通ってた女子校が合併して、Year.6(小学校)までが共学になって、翌年には制服も変わったんだけど、どうしてもストライプ柄は譲れなかったらしく、こんどは緑の太いライン・黄色・赤・黄色の細いライン・緑の太いライン…というストライプのブレザー、緑のカーディガン/セーター、白シャツ、赤いネクタイ、グレーのプリーツ入った巻きスカートorズボン。

制服でも中学校の低学年までと高学年とでは区別があって、Year.10&11は、ブレザーが緑一色で、スカートはタイトスカート。
合併してもこっちのブレザーの色は変わらなくて、スカートの色が茶色からグレーに変わっただけ。制服が変わったときには私はYr.10だったので、さらに派手な色合いになった新しいストライプブレザーを着ることは免れた。

(巻きスカートは結構かわいかったから着たかったんだけど、私はもうyr.10だったので着れなくて悔しかった(笑)帰国してから通ってた都立高校には標準服は一応あったけど、私服可だったので、妹が着てたこの巻きスカートを拝借して、Yシャツとリボンにあわせて来て行ってました。)

服装に関しては厳しくて、よく先生のチェックが入ってました。
スカート丈は定規でチェック。
髪結うゴムは黒か茶か緑じゃなきゃいけなくて、それ以外してると外されて、輪ゴムで結うはめになる。
その他シャツをスカートの中にしまってないとすぐさま注意されたし、ストッキングの色が薄すぎるともっと濃い色のにしなさいとか言われる。
何か先生たちにとって気に食わないとこがあると、ladyとしての身だしなみがどうのってくどくど説教される。。。
そのわりに先生たちもストッキング伝線してても全然気にしてなかったり。
そっちのほうがどうかと思うよ。

original 2005-09-27 00:07:38
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 03:02
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memoirs of my journey Vol.1
イギリスにいたときは、長期休暇中の旅行や土日のドライブ含め、よく家族で出かけてました。
日本にいた時、あるいは帰国してからは、家族で旅行なんてほとんど(むしろ全く…)してないけど。。

スコットランドまでロンドンから車車で行ったのは、長旅だったけど、楽しかったなー。あんな長距離、よく運転したなあ、お父さん。たぶん、お父さんが一番行きたかったんだと思う、スコットランドというか、ネス湖に。

ネス湖に着いたら、湖から離れようとしないんだもん。
「ネッシー探す」
って。いや、絶対いないから。どんっ
写真に映ってるのなんて絶対木片とかだから。
「もう行こうよー」
と延々湖の水面を見つめている父に私達が言っても、
「あ!あのさざなみは怪しい!」
とか言って聞いちゃいない。ピピピ
でも、ばかにしつつも父にちょっと少年を感じ、笑ってしまった。
待たされても文句言わない母親見て、愛も感じちゃった。
ネス湖バンザイ、家族愛{/hearts_pink/}にバンザイ。

しかし、イングランドからスコットランドへのドライブルートはかなりよかったです。
途中、なんか丘のような山がぽこぽこある道をかなりの時間走ってたんだけど、まるで絵に描いたような風景で。ちょっと地上じゃないような空気を感じてしまった。天空の城ラピュタとか思い出してしまうような雰囲気。
若い緑色がわーっと丘(山?)を覆ってて、車道のそばまでずーっと緑で、川とか湧き水とかあって、たまーになんか動物がいて。
あれはちょっとなかなかない情景でしたねー。

あとは、エジンバラの街並み、城下町という雰囲気がとても素敵でした。
スコットランド、エジンバラで印象的だったのは、ある大聖堂を見学して、出てきたときに、
聖堂前の広場で、男の子が私とすれ違いざま、ジャケットのポケットから
当たり前のようにピッコロをだし、(ケースにも入ってなくて、素のまんま出てきた)
当たり前のように建物の壁にもたれかかって、それこそ、引き込まれるような
音楽を奏でたこと。
私は振り返ったまま、あまりにもびっくりして、彼の方に向き直るということもできずに
立ち尽くして、その音楽に聴き入っていました。

思えばあのときでした。あー、でかい楽器じゃなくてポケットに入る楽器を選べばよかったと初めて後悔したのは。

エジンバラは街並みが好きです。
いつか、ミリタリータトゥーを見に行きます。
バグパイプ、らぶラブ

original 2005-09-19 23:57:01
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author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 02:46
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my school life in England Vol.13
いろんな意味で大きい校長先生の話

水泳やらラクロスやらテニスやらネットボールやらラウンダーズやらのスポーツの試合がアウェーのときは、よく校長先生が運転するマイクロバス車(?っていうんだっけ?)に乗って相手校まで行ったんだけど、バスのボロさもさることながら、先生の運転もひどいものでした。あるときなんか、道端の木につっこんだくらい。。。どんっもう生きて試合会場に着けるのかとか、試合に勝って喜んでるのにいきなり地獄に突き落とされないかとか、とにかく試合のことより道中のことのほうがいつも心配で仕方なかったんだけど。。。汗

ある日のassemblyで、体育の先生がお話の担当だったときに(毎回、交代でいろんな先生がお話をする。たいてい聖書のお話とかキリスト教的教訓に絡めたお話だった)、お話が終わって、prayerも終わった後に、急に「今日は表彰しなきゃいけない人がいます。」って言い出したのね。誰かがネットボールのnational teamに選抜されたとか、そういう類のことかと思っていたら…

「校長先生がやっと、マイクロバスの免許を取りました!!」

って…


それまで無免許で私達を乗っけて運転してたのねー!!??

original: 2005-09-17 23:46:55
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 18:25
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my school life in England Vol.12

こないだ美容院に行く時に原宿から表参道への道をぶらついていたら、なんかの署名と募金を集めてて、寄ってこられたんだけど、自分は街頭では募金とか署名とかしないことに決めてるから、申し訳ないけどお断りしました。
で、募金で思い出したんだけど、イギリスの学校ではいろんなチャリティー・募金活動をしてて、でもそれがちょっと変わってました。お金の集め方が。

例えば。Sponsered Swimming。これは私の学校だけでやってたんじゃなくて、たぶんイギリスのいろんなとこで地区ごとにやってたんだと思う。British Heart Foundationっていう、心臓病患者の支援とか研究のための資金を集める活動をしているチャリティー団体のイベントだったはず。
なんか、日本で似たようなことをしたことがないし、やってるのを聞いたこともないから説明がしづらいんだけど、そのイベントで募金を集めようと決めた人はまず、イベントの前までに、そのイベントで自分がどれだけ泳ぐか決めて、スポンサーを探します。スポンサーには、「あなたが1length(プールの端から端まで。25mとは限らない)泳ぐごとに、〜penceの募金をします」というformに記入してもらいます。家族や学校の先生とか友達とか友達の家族とか、近所の人とか、誰でもいいんだけど。で、自分が泳ぐと決めた分に応じて、お金をもらっておくの。
30length泳ぐ人がいて、もしスポンサーになってくれるって人が10pence/lengthくれると言ったら、£3もらっておく。
で、イベント当日、会場になってる公立のプールや地域の学校のプールに行って、スポンサーに書いてもらったformを提出して、そのチャリティー団体の人がちゃんとプールサイドでちゃんとチェックしてくれる中、自分が宣言しただけの分を泳ぐの。それで、ちゃんと宣言どおり泳ぎきって、自分が事前に自分のスポンサーから集めた募金を団体に手渡す、という。。。
うーん、うまく説明できてるのかな。いまいち雰囲気が伝わらない気がするけど。

あと、おもしろかったのが、Sponsered Silence。これはちょっとウケた〜(笑)
平たく言うと、黙ってる時間をsponserしてもらうの。
1分黙ってるごとに10pence、とか。
学校中で、行事としてSilenceの時間を決めてみんなで静かにしてる分にはいいんだけど、誰かが個人的にSponsered Silenceをしてるとね、授業中先生困っちゃうから(笑)
ある日、クラスの友達が一人、朝学校に来て、いつもどおり「Hi」って声を掛けたら、いつもはこっちが何も言わなくてもべらべら昨日の出来事をまくし立てるような子なのに、無言で手を振ってにこにこするだけ。なんでか聞いたら、教室の黒板で筆談が始まって、何のためだったか忘れたけど、とにかく今日はSponsered Silenceをすることに決めたんだってことがわかったの。
で、授業の時間になって先生が来たら、まずクラスの誰かが「今日はLauraはSponsered Silenceやってるからしゃべりません」ってことを先生に説明するの(笑) で、たいていは、先生も「あら、そうなの、じゃあ私もSponserになるわよー」とか言って協力してくれる。
英文学の授業とかでも音読を順番にやっててもLauraは飛ばされるし、Frenchの授業で当てられても「Lauraは口きけないならホワイトボードに書きに来て」みたいな感じ(笑)
日本の中学とか高校でこういうことしようとしたら、受け入れられるのかなあ?


original: 2005-09-16 22:50:33
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 18:17
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my school life in England Vol.11
イギリスの母校のHPを見ると、もう新学期が始まっている様子。
今でも覚えてるよ、新学期初日に学校に入るとするあの匂い。懐かしいなあ。
9月のイベントと言えば、Open morningかな。学校公開みたいなものです。
とは言っても、随時見学を受け付けてるので、学校にはよくお客様が来ました。
たいてい、入学希望の子とその親だけど。教育関係者とかも来ていたみたい。

私の父も、家族に先立ってイギリスに赴任して、私達を8月末に呼び寄せるまでの間に良い学校を探して、あちこちの学校を回ったらしいのだけど、この学校に娘達を入れよう、という決め手になったのが、お客様への生徒の態度だったとか。

お客様が校長(Principal)に校内を案内されて、授業中の教室に入ってきたら、生徒は一斉に起立するんです。そして、校長が「You may sit down.」と言うまでは、座らない。
お客様がいなくても、校長が教室に来たときは起立します。
微妙に、教頭先生のときに立つかどうかみんな迷って、中腰になるんだけど(笑)

この、「一斉に起立」に父はやられちゃったんですねえ。すごくかっこよく見えたらしい。確かに、私も転入当初はみんなが急に立つのでびっくりしたけど、慣れるとドアノブが動く音が聞こえた瞬間身構えるようになる(笑)

校長に限らず、先生ー生徒間、先輩ー後輩間などの、上下関係とか区別っていうものがすごく重要なものとされていて、それが上のような習慣や学校のルールにも反映されてました。

例えば、月曜と金曜の授業前にあるassembly(集会、朝礼みたいなもの。お祈りもします)でのこと。Senior(中等部ってとこでしょうか。Year 7〜6th formまで)の全学年が、講堂に集まるんだけど、Year7〜9は、講堂の床に直に座らなきゃいけないけど、Year10以上の生徒は椅子があるとか。
で、全学年が揃って静まったところで初めてHead Girl(生徒会長みたいなもの)が、校長室まで行って先生をお呼びするんですねー。で、先生が講堂に入ってきたら、ここでも一斉に起立して、先生が壇上に上がって、「Good morning, Ladies.」「Good morning, Mrs.○○(先生の名前)」という挨拶が終わって、先生が「Please sit down.」とおっしゃてから座る。

校長先生に敬意を表してってことなんだろうけど、形骸化した習慣ではなくて、確かにそうしなきゃいけないような気にさせる風格というか貫禄があったなあ、あの校長には。
私が入学した時の校長先生は残念なことにもう亡くなられてしまったのだけど、いろんな意味で(笑)大きな方で、教育者とはこうあれ、って感じの人でしたねえ。よく声をかけていただきました。入学の相談に行ったときに父と意気投合したらしく、行事で父が学校に来るたびに、よく「Hello. Mr ○○○!」と寄ってきていました(笑)
今の校長は私がYear 9の頃からだから、もう9年目になるみたい。この人もネタには事欠かない人物ですね。またこの人については追々(笑)

先輩後輩のことについて言えば、下の学年の生徒は、自分より上の学年のクラスルームには、授業で使う時以外はみだりに立ち入っちゃいけないことになっていました。なんでかなって感じだけど。
だからといって、いわゆる日本の学校で「上下関係が厳しい」というのとは様子が違って、そういう規則があって先生の目もあるし一応規則として守るし、オフィシャルには先輩には敬意を表すんだけど、実際はすごく仲良し、っていう感じでした。
そもそも、途中の転出入があるにしても、ほとんどの生徒は3歳から18歳まで同じ学校で、1学年15人程度で、という規模だと、学校全体が家族のような雰囲気でした。

ああ〜、ほんと、懐かしい、帰りたい。
帰ったところで年齢的にこの学校に通えるわけないんだけど。




original: 2005-09-11 22:21:01
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 18:12
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my school life in England Vol.10
はい、やっとやっと、夏休み船がやってきました。

summer holidayはイギリスでは学年が変わる境目の長期休暇。
とは言っても、すでに何度も書いたように、私の学校にはクラス替えなんてものがなかったから、9月へのドキドキ感はそんなにはなかったかな。

ただ、9月の学校初日に何がドキドキかっていうと、classroomの割り当ての発表と、担任の発表。

校内の教室にはそれぞれA to Zのアルファベットが当てられてた。
Room Aは確かstaff roomだったかな。
日本だと、教室は固定でしょ。この教室は1年1組の教室、って決められたら、それは毎年1年1組の教室。
私の学校では、教室は固定じゃなくて、毎年9月の新学年の初日に、校内の掲示板で教室がどこになったかチェックするの。
「今年のyr.9はroom Qだってー、最悪じゃん、あそこ雨漏りするよ」
みたいなね(笑)
年功序列で、たいてい日当たりのいい部屋は最高学年のYr.11に取られてたな。
で、教室の割り当てと一緒に担任も書いてある。これも悲喜こもごもでしたなあ。

年度の初日だからとか、学期の初めだからとかって、始業式みたいのはなくて、普通に授業があります。
まあ、いわゆるホームルームみたいのがあって、Form Captain(学級委員だね)を決めたり、時間割Homework Diary(宿題帳、ほんとに、宿題と時間割書くだけ)に書き込んだりする時間があって、あとは、授業。初めて転入した日は、ほんとびっくりした。すぐ帰れると思ったのに…しかも、1日9時限あるしね
1〜3限、Break、4〜6限、Lunch、7〜9限ていう。。。慣れるまではほんとつらかった。

うーん、長いな。
続くー
To be continued

original: 2005-08-02 01:14:52
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 18:02
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my school life in England Vol.9
ふえ〜、楽器を昨日も今日も弾いてない。
あ。昨日は弾いたか。親指ポジション練習しなきゃいけないのにー。「少し痛めつけるくらいやんなきゃだめだよ」と先生に言われたのにー。妙に反る私の親指。なかなかちゃんと五度の音程が取れないんですけど、ハイドンのあの重音。。。

今日、自分の大学の地下の音楽練習室を歩いてて、イギリスの学校の音楽室とレッスン用の小さい練習室のことを思い出した。

音楽室には、しょっちゅう逃避してた。
音楽の先生が「ようこならいつでも来ていいよ」と言ってくれたので、昼休みとか朝とか、教室に居場所がなかったり、なんとなく楽器に触りたくなったら、音楽室に行く。で、ピアノ弾く。

小さいほうの練習室は、ほんとにちっこくてー、チェロのレッスンのとき、私と先生と二人の楽器だけでもう、ドアも開けられないくらい。
でも、狭いとこ好きだから、こっちにもよく入り込んで、こそこそ日本語の本読んだり、ピアノ弾いたり、なんか泣いてみたりしてた。病気{/down/}

音楽の授業は、GCSEコースを取ったのが私ともう一人の日本人の女の子で、しかもその子が途中で帰国しちゃったから、最後私一人で、マンツーマンで授業してました。。音楽なのにい。でも、おかげで、レコードは好きなもの聞かせてくれたし、楽典も結構ちゃんと教えてもらったし(もう忘れた。。)、楽しかった。先生が、かわいいおじいちゃんだったのさ。

Yr.9までは音楽の授業が週二回あって、歌と楽器を1回ずつ。
歌は大好きだったな。私の学校のChoirが結構上手で、全国大会で歌ったんだよ。しかもロイヤルアルバートホールで。素敵だった。スクールオーケストラと聖歌隊は両立できないやと思って、泣く泣く断念してたんだけど、今思えば、やればよかったなあ、聖歌隊。

オーケストラと聖歌隊にとって大きなイベントの一つが、クリスマスミサ。
学校の近所の教会を借り切って、夕方に、全校生徒と親や先生、みーんなが集まって、ミサをやるの。一度、このクリスマスミサが地元のテレビで放映されて、みんな大興奮してたけど、聖歌隊はうまいからいいとして、壊滅状態のオケの音が電波に乗っちゃったかと思うと、泣きそうでした。
でも、この毎年のミサは大好きだった。ふえー、帰りたい。

なんでミサを思い出したかというと、今日大学の隣のカトリック教会にふらっと立ち寄ったから。
なんかきれいすぎて教会って感じがしないんだけど、でも、すごい落ち着く。
前の彼氏と喧嘩していらいらしたときとか、サークルのことで悩みすぎてぐったりしてたときとか、去年は何かとここに通いつめてた。いつのまにか心が穏やかになるの。最近はここの存在をちょっと忘れてたけど、今日行ったら、また来たくなった。

また、ミサに通おうかな。


original: 2005/7/25
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 17:59
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