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母語を失う恐怖と私を支えた詩
 海外の現地校に入って、現地の子と対等に学力的に渡り合えるようになるまで4年かかるという。
あながち外れていないと思う。
現地の言葉で考え、問題解決する力がつくには少なくとも4年、それ以上かかるケースも珍しくない。
それはその子どものそれまでの家庭環境や、学習環境によって多少幅は出てくるけれど。

私は、2年かけて、英語で思考する能力が芽生え始め、
それと同時に、日本語で思考する能力を失い始めた。

それが、どういう意味を持つか。

自分が考えていることが、わからない。
動物的ともいえる、直感レベル、感情レベルでしか、自分の気持ちを認識できなくて、
言葉というフレームに落とし込むことができなくなる。

自分の考えていることが分からない、表現できない。
私の今感じているこの恐怖は、不安は、なんだろう。
確かにそこに、恐怖や不安があるのに、
それが何なのか知るすべも、知ろうとする手段「考える」という作業がまったくできなくなる。

何より恐ろしかったのは、母語が、私の頭の中から消え行くということ。

私は日本語が大好きだった。
文字を読み始めたのが2歳、筆を持ったのが3歳、幼稚園では絵本なんて大嫌いで、
小学校では、学年相応の本はくだらなくて仕方なかった。
小学生にして、古事記や日本書紀を読み、
イギリスに行ってからは毎月4、5冊、祖母に本を贈ってもらっていた。
そんなイギリス中学生時代には、当時脚光を浴びた「日蝕」に夢中になり、
そのほかにもとにかく日本語の活字があれば内容がなんであれ、読んだ。
日本語新聞が一日遅れで届くのだけど、それは意味がわからなくても一面の頭から38面まで読み通した。親の金で勝手に届く、日本語メディアが新聞だった。

が。
そんなこともしている暇のなくなってきた、Yr10、11。その準備段階のYr.9.
このあたりから、日本語に接する機会が激減。
現地校の課題、勉強でいっぱいいっぱいだ。
中等教育修了試験(GCSE)対策、GCSEに必要なプロジェクトワーク、エッセイ、モジュールテスト、実技試験。。

イギリスに渡った小6の頃から常に一日8時間は勉強に割いていた。
土日となれば、家族で外出する以外は、ひたすら勉強。

気づいたら、頭の中はほぼ英語。
でもネイティブといえるほどでもなく、日本語で補充しながら、英語を使う日々がしばらく続いた。

が、突然。
和英辞書も英和辞書も使えなくなった。
言葉を失ったから。
これは英語でなんていうんだろう、とおもっても「これ」が日本語で出てこないから辞書の引きようがない。逆もしかり。英語のボキャが少ないから、英語から日本語を引き出す作業もできない。

そのうち、英語でも、日本語でも文章を書くどころか、考えることができなくなった。
怖かった。
頭の中は空回りしっぱなし。焦って冷や汗どころか、体が震えてくる。

日本語ができないで、どうして日本人だと名乗れるだろう。
日本語を失ったら、私は自分をどうidentifyしていけばいいのだろう。
日本に帰ったときにどうなってしまうんだろう。
identity crisisに直面した。

それくらい、言語と自分の文化との結びつきは、少なくとも日本人である私にとっては重要なことだったのだ。(ユダヤ人は宗教を共有するけど、言語や国籍は必ずしも共有されていない)

中学生の私がそのとき自分に対して思ったことだ。

母語喪失の恐怖は忘れない。


でもあるとき、English Litelitureという科目の中の詩の授業で、
Poems from other cultures
という単元を勉強することになった。
詩を読むにとどまらず、修辞法、その詩が書かれることになった歴史的背景、詩人のバックグラウンドまで踏み込む、日本の国語の授業とは雲泥の差の深さで、一つの詩に取り組む。

たぶん英文学の先生は、意図的にその単元を選んだと思う。
何せ私が振り分けられたEng.Lit.のFoundation classの半分が、日本人やパキスタン人など、イギリス人のほうがマイノリティだったから。

その中で、私が勇気付けられた詩がある。
日本語もよくわからない。英語も中途半端。そんな私の悩みとまさに同じことに悩み、乗り越えていくという詩。
Search for my Tongue, written by Sujata Bhatt
だった

その詩を転載することはできないけれど、技法的にも表現力も言葉のパワーもすごい詩だった。

何より勇気付けられたのが。
「mother tongueが
rot and dieしていく」という恐怖から、
実は母語はきちんと体の中に残っていて、「it(母語) blossoms out of my mouth
と詩が訴えてくれたこと。

二つの言語を、体の中に同じレベルで宿らせ、操るのは難しい。
だけどそれが要求される場面は少なくない。
だけど、mother tongueの存在を、思いを、捨てないことで、
一時的にその能力が落ちることが合っても、
必ず、それは体の中に残ってる。


mother tongueの持つパワーとそれがその人自身にとってどれだけの財産なのかということを、
多くの人に知ってもらいたい。知らせたいと思う。
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 12:51
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my school life in England vol.17
最近「ブログおもしろいね」って言われるようになって嬉しいです。
M上さーん、読んでくださってるならコメント残していってくださいよー。

なんだか最近梅雨寒で調子狂うなあ。もちろん、暑いよりは全然ありがたいんだけれども。
でも、こんな日に外でプールに入ってる小学生を見ると、ちょっとかわいそう
高校は屋内プールだったから、水泳の授業をやる期間がめっちゃ長くて、5月のGW明けくらいから、10月まで。水泳得意だから成績が取れてラッキーでした

で、イギリスでは、4月から6月の「夏学期」に水泳の授業をやってました。夏とか言っても、イギリスの4月は、涼しい。だって、緯度は北海道と同じだし。しかも、私の学校のプールは、屋外。でも、温水。ってことは、何が起こるかというと。

プールがまるで温泉のように、湯気ゆらゆら。
進行方向の状況が見えませ〜ん。
背泳ぎしてたらいつの間にか壁まで来てて、頭をぐわ〜〜んとぶつけてしまったり。
っていうかそもそもお湯に顔をつけるのがキツイ。
ありえない水泳の授業でした。
しかも、学校のチームに入ってたから、何かとお湯の中で泳いでました。
あれは、高校の屋内冷水プールよりきつかった。。。

original: 2005-07-13 23:56:05
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 03:41
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心の帰る場所

original: 2006-07-06 22:20:55 @ La Ventana

わたしの、人生の中でももっとも大切でいとしい時間をすごした、イギリスへ、来週帰ることになりました。
わたしにとっては、帰る、という感覚のほうが、行く、という感覚よりもしっくり来ます。

多くのひとに大切にされて過ごした、母校の創立90周年のバースデーパーティーがあるので、急遽、妹と一緒に帰ることにしたのです。

つらいこともたくさんあったけど、やはり、それだけに思い入れは強く、講堂に入るときの匂いですら、今もはっきりと思い出すことができます。

特に、外を出歩くこともあまりしないような年頃だった私にとっては、イギリス生活=学校生活でした。
狭い世界ではあったし、もっといろんなところに出て行けばよかった(地域のスポーツチームに入るだとかね)、と悔いることも少なくはなかったけれど、そのことはどうあれ、母校は私のイギリス生活のほとんどすべてです。

私立の学校だから、あまり教師の入れ替わりもなく、
どうやら見知った顔がいまだにあの職員室にいるようで、
懐かしい再会を思うと、
今から嬉し涙を流してしまいます(笑)

バースデーパーティーの内容は、
まず11a.m.から、近くの教会(キャロル・サービスなど、学校行事でよく使うおなじみの教会です)でサービス。
午後は学校の講堂に場所を移して、パーティーをするよう。

通学路の景色、あの泥とみみずのフンでぐちゃぐちゃの学校のグランド、よくみんなで抜け出してお菓子を買いにいった学校の近くの小さなポストオフィス、
早く行きたいっ!!

イギリスに渡った夏からそろそろちょうど10年、帰国してからは6年。
帰りたいという気持ちはずっとあったけれど、
ここまで間があくと、もうしばらくは行かないだろうと思っていた矢先のことです。

ほんとうは、大切な人と一緒に行って、
私が12〜16歳という時期を過ごした、
かけがえのない時間を過ごした、
私の人生にとってそれは大きな意味のある場所なのよ、
といろんなところを案内する、
というのが思い描いていた「次のイギリス帰国プラン」だったのだけど(それはそれは詳細にプランを立てて、妄想に励んでいたのです笑)、

いざ帰れるとなると、妹と二人旅だろうがなんだろうが、テンションは上がるようです。。

どうしよう、日本に帰ってきたくなくなったら(笑)

というわけで、来週はイギリスに行きます。
かえってきたら、たくさん写真がアップできるかも!
お楽しみに☆
author:la-ventana2, category:-, 03:29
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my school life in England Vol.16
高校まで「卒業式」というものは経験がしたことがなかった。
なぜか。
小学校6年生の夏にイギリスに行った私が転入した先は、現地校のYear.8。中学校2年です。あれ、小学校未卒業のまま中学生になっちゃった。。
その上イギリスで中等教育課程はYear.7〜11の5年間なのですが、そのYear.11の終わりには卒業式のようなものはなく、最終学期の最終日も、登校はしてもしなくても、みたいな、流れ解散。
しまりのない終わり方だったなあ。
あんなに卒業時の試験大変だったのに。。

ただ、一つだけ、イギリスの中学校生活の終わりに、素敵なイベントがあったんだ。
先生たちが手作りのパーティーを、試験の最終日に開いてくれたの。
パーティー会場は、普段居残りくらいでしか使われない、図書室(笑)
普通、飲食厳禁なのに(笑)
学校中の先生たちがみんなで、お菓子の買出しからからピザのオーダー、会場のセッティングまでしてくれて、先生たちと私たちYear.11の全員で楽しくランチパーティーをしたんだー。

でも、どこか不完全燃焼だった私たち。。

だって。。

muck up dayを何ヶ月も前から楽しみにしてたんだもん!!!!!

muck up day。

それはどうやら私たちの学校独自の行事ではなかったみたいで、近くの学校でmuck up dayに何があったか、みたいな噂も聞こえてくる。

私たちも、試験が始まる前から「うちらは何する何する?」みたいな感じでしょっちゅう話題にして、楽しみにしてたのだ。

muck up dayっていうのは、その年の卒業生が、大暴れする日なの。

「今年のmuck up dayは何月何日!」
という噂が、どこからともなく、生徒や先生の間に広がって、全校がどきどきしながらその日を待つの。
そして当日。
いつ、何が起こるのかわからない。
そういう緊張感(と生徒に関しては高揚感。笑)の中、一日が始まる。

私の先輩たちは、すごかった。
ある代は、講堂(といっても、据付の椅子なんかはない、ただのだだっぴろいスペースね)で、生卵投げゲームをした。
そのときのホールのにおいといったら。。もう。。
ある代の先輩は駐車場にある先生の車をつぶした。修理費は生徒の親持ちね。
超お金持ちのパパママがいるような子がたくさんいる学校だからそんなことができたんだと思う。。
近くの女子高では、学校中のトイレをショッキングピンクにペイントしたという噂があった。

でも、私たちの代から、muck up dayが禁止になった。

私の一つ上の代のmuck up dayのメニューが超えげつなかったから。

そのmuck up dayは静かに始まった。
私たちの期待とは裏腹に、お昼休みになっても、学校のどこかで悲鳴や笑い声が上がることがなく、クラスの教室にいた私たち後輩は、なんとなく、じりじりしていた。
が。
「つまんないな,ちょっと学校内歩いてみようよ」
と誰かが言い出して、何人かが教室を出て行った。
学校内といっても、めちゃめちゃ小さい学校なので、すぐに校舎を一周できてしまう。
すぐに、教室を出て行ったメンバーが帰ってきた。
笑いをこらえていたらしく、教室のドアを開けた瞬間、大爆笑し始めた。
「なに!?なに!?}」
不思議がる私たちを、手振りで
「とにかくちょっと校内歩いてみなよ」
というように、教室の外を示す。
教室に残っていたメンバーで、廊下に出た。

笑った。みんなが。

私はよくわからなかった。
廊下にぽとぽと落ちているものがなんなのか。

水風船?

違った。


「何、これ?」
私がクラスメートに聞くと
「は?ヨウコ、わかんないの?」
彼女は、説明しようとしてはふき出しながら、やっと教えてくれた。
それらの正体を。

アレです。
空気をいれて、口を結わえた、いろんな色のコン●ーム。。。。。

うそーーーーーーーーん。

学校の、いたるところに、それらが置いてあるの。
廊下、理科室のシンク(にめいっぱい)、ゴミ箱、職員室横の提出物を置くための棚、ホールの床。。。
伝統的女子校の校舎内のいたるところに、そんなものが。。

下ネタ大好きなクラスの子達は大喜びでした。

ひとしきり盛りあがったあと、私は、昼休みに音楽室でピアノを弾くことを日課にしていたので、一人音楽室に向かいました。
ピアノを蓋を開けると。
青、ピンク、グリーン。。。。
鍵盤のとこにもそれらが仕込まれていました!!!!!

のんびり職員室でランチタイムのワインを飲んでいた先生たちが、昼休み終了間際にそれらに気づいた。

午後の最初の授業は自習になった。
先生たちが厳しい顔をして、ゴミ袋片手に、校舎中のそれらを拾って回ったから。
それでも、次の日に思いがけないとこから残党が顔を出して、その度に先生は顔をしかめ{/face_ang/}、私たちは笑いをこらえるはめになりました。

そして、女子校にふさわしくないこんなはしたないいたずらをするなんて許せない、と怒り心頭の先生たちは、翌年以降のmuck up dayを禁止したのでした。
車つぶされても禁止にしなかったのに。
まあ、うちの学校らしいといえばらしい決断でした。

にしても。。。

日本の学校でそんなことやったら新聞にのっちゃうだろな。
都民版とかに。

original:2006-10-13 00:37:08
author:la-ventana2, category:イギリス現地校生活, 03:25
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my school life in England Vol.15
テストの話。

イギリスの学校では、ちょこちょこテストはあったにしても、定期試験ていうのがなかった。さすがに学年末にはテストあったけどね。
でも、GCSE year になると、5,6月の本番に向けて、12月に1回、mock(模擬試験)がある。

で、mockも本番も、私の学校では、試験会場が、なんと体育館。とは言っても小さい学校なので、体育館も、バレーボールのコートが1面とれるくらいの大きさ。でも、1学年16人しかいなかったので、充分な広さではあるんだけど。

で、体育館に、机を並べて試験するんだけど、このカンニング対策がすごい厳しいんです。どんっ
まず、会場に入る前に、席順、つまりalphabetical orderに並ばされます
そして持ち物チェック。持ち込んでいいのは、中が透き通って見える筆箱とそれにいれた筆記用具と時計だけ。
で、試験官の合図で入場。この時点で、もう話しちゃいけない

で、席につくんだけど、各机は、2、3mくらいずつ離れてる。試験はほんとに孤独な戦いデス。。。撃沈


試験官は、mockのときは学校の先生がやるけど、本番のGCSEのときは、ほんとに公平に試験が行われるように、試験委員会から指定されてるらしい、外部の人が来ます。試験官は1部屋に二人。。
これがほんとに怖い。。情け容赦ないから。
2学年上の先輩なんて、試験中にちょっと顔上げて、まゆげ動かしただけで、カンニング行為と疑われて試験全て失格になりかけたから。試験官いわく、「誰かと合図を決めて、サインを送りあってカンニングした疑い」。。。
そんなんじゃ、試験中下手に瞬きもできやしない。。で、なるべく体を動かさないように硬くなって試験受けてたから、試験終わった後、立ち上がって退場しようとすると、なんか動きがおかしくなってるんだよ笑

1科目60〜120分のテストを、このぴりぴり爆弾した空気の中で受けるんだよー。
あの緊張感ったらない。たぶん日本の国家試験レベルの厳しい監視体制だと思う。
それに比べたらセンター試験はゆるゆるしすぎて寝ちゃったもんね{/fukis_z/}

ちなみに私の学校では、授業時間を知らせるベルも、GCSEやmockのときは試験のほうに合わせられてた。
だから、試験受けてる学年はいいけど、試験日には他の学年は普通に授業してたりするから、授業時間がぐちゃぐちゃしてわかんなくなっちゃったりするの。
で、生徒たちでグルになって「先生、今日はYr.11がGCSE受けてるからベル鳴らないけど、もう授業終わりだよ」とか言ってだまして、授業早めに終わらせちゃったりしてね笑

original 2005-10-21 23:31:54
author:la-ventana2, category:GCSE, 03:11
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